★RANDYの想い出★

アイリッシュ・ウルフハウンド ランディ 2006/01/06撮影

2007年5月27日に7歳3ヶ月で生涯を閉じた我が家のアイリッシュ・ウルフハウンド、ランディの想い出を綴ります。

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■ようこそ我が家へ

我が家の長男ランディは、以前からお世話になっているブリーダーのOパパさんと前オーナーさんに連れられて、2000年9月10日にパパママの住む湘南のおうちへやって来ました。
Oパパさんちのビリーくんがランディの父犬というご縁で、紹介していただきました。

その年の2月29日に生まれて、既に生後6ヶ月になっていたランディですが、パパが受けた第一印象は「随分小柄だなぁ」というものでした。
彼の体が小さかった理由は、後日明らかになります。




■おなかピ〜とカユカユ

食事は、それまで食べていたフードの銘柄をお聞きして同じものを用意したのですが、とにかく食いつきが悪く、またおなかも弱いので困りました。

レトリーバー系などとは対照的に、サイトハウンドは一般に食べ物に対する執着心が薄いのですが、ランディはとりわけ無関心でした。
躾の本に書いてあるように「15分経って食べなかったら下げる」を実行してみたら、10日近く水しか口にしないこともありました。

我が家に来た数日後にアレルギー性皮膚炎を発症したので、獣医さんに相談して処方食に切り替えたのですが、それが大失敗。
酷い下痢になってしまいました。

おなかに優しく食いつきのよいフードを求めて、パパママのフードジプシーが始まりました。
ランディに合うフードに出会うまでに、結局2年以上かかりました。

また、おなかが弱いのは、消化酵素が不足する体質が原因であることが検査で判明し、酵素を補う療法によって、以前とは見違えるほどおなかが丈夫になりました。
獣医さんによると、アイリッシュ・ウルフハウンドには、遺伝的に消化酵素が不足しがちな仔が多いそうです。

その後亡くなるまで、ランディはご飯もよく食べるようになり、モタモタしているフィンリーの分を横取りするほどになりました。
仔犬時代の彼は、消化酵素が不足したために、胸焼け胃もたれが酷くて食欲がなかったのかもしれませんね。

アレルギー性皮膚炎は、毎年夏が来るたびに酷くなり、また症状が年々悪化してきたため、2004年7月にアレルゲンを突き止めるための検査をしました。

その結果、牛由来の食材にアレルギーがあることが分りました。
同時に、ランディの体内には安定抗体が増えつつあることも判明し、獣医さんによれば「症状は今が一番酷い状態で、段々とよくなっていくでしょう」とのこと。
そこで、ランディの口に入るものから牛を原料にしたものを徹底的に排除し、梅雨から秋の終わりまでは皮膚を超酸性水でせっせと殺菌することになりました。

翌2005年の夏は、獣医さんの言葉通り症状が随分軽くなり、皮膚炎を起こす期間も大幅に短くなって、パパママは大喜び。
本犬も気分よさそうでした。
元々素晴らしかった毛吹きも、一段と見事になりました。

2006年には、あれほど苦しんだ皮膚炎の症状がほとんど出ることもなく、夏の間、一度も超酸性水のお世話にならずにすみました。

ランディは、体を濡れたままにしておくと皮膚炎が化膿して酷いことになったため、これまで海や川で泳がせてやることができませんでした。
皮膚炎が完治した暁には、いよいよ水遊び解禁かと楽しみにしていたパパママですが、残念なことに、ランディに次の夏はやって来ませんでした。




■ビビリーちゃん

我が家の一員になった当日夜、初めてランディを散歩に連れ出したパパは、ビックリしました。

脚側などの躾がまだ入っていないのは仕方ないとしても、走る自動車や電車、工事現場の騒音から、果ては風にはためくお店の幟まで、外の世界のありとあらゆるものを怖がるのです。

外が怖いからと散歩を嫌がる犬なんてこれまで見たことがなかったパパは、本当に驚きました。

中でも、彼が特に怖がったのがモノレールです。
モノレールが近づいてくると、ビビリダッシュで逃げようとします。
コマンドを掛けて強制的に座らせると、ピーピー鼻を鳴らして嫌がります。

躾の本を読んだり、ブリーダーさんに相談したり、訓練士さんのアドバイスに従ってみたり、色々やってみたものの効果なし。

仕方なく、せめてビビリダッシュの強引きだけでも何とかしようと、ハルティカラーを購入。
それを見た通行人からは、「あれ、馬?」「ああいう大型犬は危ないから口輪をしているんだ」などと好き勝手なことを言われました。

ハルティでの訓練の甲斐あって、やがて強引きはしなくなりましたが、モノレールが怖いのは相変わらず・・・。

そんなランディのことを、父犬の名をもじって「ビビリーちゃん」と名付けたパパママでした。





















■心臓疾患の発覚

2001年11月29日、ランディの様子が突然おかしくなりました。
名前を呼ばれたランディは、いつものように立ち上がってこちらへ来ようとしたのですが、そのままへたり込んでしまったのです。

慌てて駆け寄ってみると、舌と歯茎に血の気がありません。
脈を取ってみると、不整脈があるようです。

動かすとよくないと判断し、かかりつけの獣医さんに往診をお願いしました。
先生が来てくださった時にはもう元気になっていたのですが、診察の結果、軽い心臓発作を起こしたと思われるとのことでした。
やはり不整脈があり、とりあえず心臓の薬を処方していただきました。

12月9日に、かかりつけの獣医さんで心電図を取っていただいたのですが、さらに精密検査をした方がよいと言われました。
そこで、先生のご紹介で、大学病院へ行くことになりました。

12月25日、大学病院でホルター心電図を取り付けました。
72時間の連続データを採る予定でしたが、病院にはランディサイズの装着具がなかったため、獣医師の指示でママがパパの毛糸のベストを改造して装着。
でも、やはりランディの超逆三角形ボディにはフィットせず、途中で外れてしまいました。

年が明けた2002年1月、再び大学病院へ行き、X線CT撮影や心電図等による精密検査を受けました。
循環器系専門の先生によると、この不整脈は「上室性期外収縮がみられるが、日常生活に支障を来たすほどではないので、心臓の血管を拡げる薬を半年ほど服用して様子を見ましょう」ということでした。

そして、今後は月に1回、かかりつけの獣医さんのところで心電図を採ってもらい、半年か1年おきに心臓のX線撮影をしてチェックして貰うことになりました。

この時は、しばらく薬を飲み続けたら症状はすっかりよくなったのですが、結局、最後は心臓の病気がランディの命を奪うことになりました。

ホルター心電図の電極を取り付けるため胸の毛を剃られてしまい、再び毛が伸びるまでの間、かなりカッコ悪くなったランディでした。

犬友の勧めで、血液サラサラ効果を狙い、ご飯に納豆を入れるようになったのもこの頃です。
ランディは、納豆や魚が大好きな和食犬でした。



■十字靭帯損傷

2003年5月、そのころお気に入りだった朝霧高原のドッグランへ泊まりで遊びに行きました。

早朝、地名の通り朝霧に包まれた貸切状態のドッグランで爆走していたランディは、急旋回しようとした瞬間、朝露に濡れた芝生に足を滑らせて、右後肢を変な具合に捻ってしまいました。

しばらく様子を見ていても、まだ痛そうに足を浮かせているので、帰宅後、獣医さんへ。
変形性関節症の疑いありとの診断でした。

しばらく投薬と運動制限をしながら様子を見ることになりましたが、原因ははっきりしませんでした。

体重の重い超大型犬にとって、足腰の怪我は致命的な結果に繋がりかねません。
このまま漫然と放置するわけには行かないと考えたパパママは、ランディを別の獣医さんに診せることにしました。

そこで告げられた病名は、股関節形成不全(HD)でした。
そして、これから症状は段々悪化していくので、早めに人工関節への置換手術をした方がよいと勧められたのです。
けれども同時に、超大型犬用の人工関節は耐久性に難があるとも言われました。

パパママは、考え込んでしまいました。

高齢になってから、駄目になった人工関節の交換手術をするのは非常に危険ではないか。
そもそも、米国の統計では、アイリッシュ・ウルフハウンドがHDになる確率は他の超大型犬種に比べて低いとされているのに、あんなに短時間の簡単な検査で断言できるのだろうか。
パパママは、あれこれ話し合った結果、手術は見送ることに決めました。
結果として、この判断は正しかったのです。

その後も、ドッグベッドに寝転がった状態から立ち上がったり、朝、気温の低い時間帯の散歩の歩き始めに痛がるという状態が長期間続いたため、2004年3月と4月に再び大学病院で精密検査を受けました。

X線撮影とMRI検査の結果、右膝の前十字靱帯一部損傷と診断されました。
三次元画像を詳細に検討していただきましたが、股関節や膝関節には異常ありませんでした。

今度は膝の毛を剃られて、またカッコ悪くなってしまったランディでした。

MRI検査のために全身麻酔をかけたので、かなり心配しました。
帰宅した時には、まだ意識が朦朧としていたのです。
胃捻転を恐れたパパは、朝までつきっきりでランディの様子を見ていましたが、幸い何事も起こりませんでした。

検査の結果、非ステロイド系の消炎鎮痛剤をしばらく飲み続けることになり、その後、症状はある程度改善しました。
けれども、それからというもの、しばしば膝を気にして足を地面から浮かせることが多くなりました。
症状が出るたびに痛み止めを飲ませていましたが、足腰の関節の老化予防のため、グルコサミンとコンドロイチンのサプリメントも併せて飲ませるようにしました。

その後、散歩コースを足腰に優しい砂浜に変更し、さらに、成長したフィンリーと毎日追いかけっこや犬プロレスをするようになると、足を痛がることはほとんどなくなりました。
きっと、脚の筋肉を鍛えることによって、膝の負担が軽くなったのでしょうね。
人間と遊ぶのとワンコ同士遊ぶのとでは、やっぱり運動量が違うんだなぁと感じたパパママでした。

実は、ランディの後肢の踏ん張りが弱いことと後足の握りの大きさが左右で違う点が、我が家に来た時から気になってはいたのです。
そこで、足腰を鍛えるために、起伏に富んだ里山の柔らかい土の道を毎日パパと一緒に走っていたのですが、結局、膝を痛めてしまいました。

足を滑らせないようリビングには特殊な床材を敷き詰めているし、体重は61kgなので太り過ぎということも考えられないし、一体何がいけないのだろう・・・。
パパママは悩みました。



■ランディの生い立ち

次々と病魔に襲われるランディ。

「大きい」「優しい」と共に「体が弱い」が標準装備だなどと冗談を言われることも多いアイリッシュ・ウルフハウンドですが、それにしてもランディは体が弱過ぎるのではないかと疑問に思ったパパママは、自分たちの育て方に何か重大な間違いがあるのではないかと心配になり、お世話になっているブリーダーのOパパさんへ相談に行きました。

そして、そこで衝撃的な事実を聞くことになってしまいました・・・。

生後半年間暮らした前オーナーさん宅で、ランディは、一日のほとんどを立ち上がることすらできないほど狭いケージの中で過ごし、ホームセンターで安売りされているような粗悪な成犬用フードを与えられていたというのです。
色々と事情がおありのようではありましたが、それにしても酷い話です。

心臓が悪いのも、アレルギーも、後肢の踏ん張りが弱いのも、ひょっとしてそれが原因だったのか・・・。
今頃になってそんな話を聞かされ、かなり落ち込んだパパママでした。

短命といわれるアイリッシュ・ウルフハウンドですが、ランディの同胎犬は、ランディともう1頭以外は今も皆健在だそうです。
それを思うと、一番大切な成長期に劣悪な環境にいたランディが不憫でなりません。




■お友達大好き♪

幼少期の環境からその後の成長と健康に大きな影響を受けてしまったランディですが、悪いことばかりではありませんでした。
彼が育った場所には、他にも大勢のワンコが暮らしていたのです。

そのおかげで、幼い頃からワンコ社会のルールを身につけることができたランディは、他所のワンコに対して当初から実にフレンドリーに振舞い、パパママが新たに教えることは何もありませんでした。
これは本当に助かりました。

散歩中、お友達に出会うと実に嬉しそうな顔をするランディでした。
逆に、いつもお友達が集まっている広場を覗いて誰もいないことが分ると、ガッカリしていました。
ドッグランへ行くと、走るよりもご挨拶に大忙しでした。

フィンリーが襲われた場合を除けば、ランディは、他所のワンコに対し、終生一度も攻撃的な態度を取りませんでした。
吠えられても咬まれても、それは常に変わりませんでした。

他所のワンコに喧嘩を売られても平然とやり過ごし、目上のワンコには礼儀正しく謙り、年下ワンコには優しく接し、小さなワンコに対しては力を加減して遊んであげるという、まさに「ジェントル・ジャイアント」でした。

最期の日にお友達と楽しく遊ぶことができて、ランディはとても幸せだったろうと思います。

いつも穏やかで友好的な態度のランディは、パパママと一緒に色んなところへお出かけすることができました。
ワンコ入店OKのレストランでは、パパママが食事を終えるまで物音一つ立てずにじっと伏せていました。
帰り際にテーブルの下からランディの巨体が姿を現すと、それまで彼の存在に気付いていなかった隣の席のお客さんが驚くこともありました。


■豊かな被毛は祖父譲り、イケメンは父譲り

アイリッシュ・ウルフハウンドは、子供の頃からパパの憧れの犬種でした。

パパ同様ワンコ好きな妹が、パパよりも先に一戸建ての家を手に入れました。
そこで、パパは、お祝いにウルフハウンドの仔犬を贈ることにしました。

よい仔犬との出会いを求めて、妹夫婦と一緒にあちこちのウルフハウンドを訪ね歩きました。
けれど、どの犬も、パパが思い描いていたウルフハウンドとは違いました。

犬の図鑑に載っているような見事なウルフハウンドは、やはり日本にはいないのだろうか・・・と思い始めた頃、日本のウルフハウンドブリーダーの草分けである伊豆のOパパさんのお宅を訪ねました。

そこで、エディくんに出会ったのです。
1996年のことでした。

圧倒されるほど巨大で骨太な体躯、豊かなペールウィートンの被毛、人にも犬にも優しく悠然とした立ち居振る舞い。
一目見た瞬間に、これぞパパの夢見た「ジェントル・ジャイアント」だと思いました。
そして、いつか自分もエディくんの血を引くウルフハウンドを家族に迎えようと心に決めたのでした。

1999年、パパは、ママと協力してようやく湘南の地に家を建てることができました。

そして、翌年、我が家にやって来たのがランディでした。
彼は、パパ憧れのエディくんの孫に当ります。

ランディの父犬ビリーくんも、エディくん同様に優しい仔でしたが、父親とは全く異なる美しいメタリックグレーのコートの持ち主でした。
そのハンサムな顔立ちは、ランディにそっくりでした。

里帰りするたび、エディくんとビリーくんはランディを優しく迎えてくれました。

ランディを取り囲んで少々乱暴に歓迎する若いワンコたちを、エディくんは低い声で一喝して静かにさせました。
そして、ランディに近づき、ゆったり尻尾を振りながら「おお、我が孫よ。よく来たな」と話しかけているように見えました。

ランディは、このお祖父さんとお父さんから、がっしりと骨太な体や豊かな被毛、端正な顔立ち、そしてなにより一番大切な彼らの素晴らしい性格を受け継いだのです。

その後、足を怪我してしまったビリーくんは残念ながら早世してしまいましたが、エディくんは12歳目前まで長生きしました。
最期まで優雅で堂々とした素晴らしいワンコでした。



■ランちゃんの七化け!?

生後半年で我が家にやって来た時、ランディのコートはほぼ全身ペールウィートンで、縞模様はほとんどありませんでした。
血統書にはブリンドルって書いてあるのに妙だねぇと、パパママは不思議がりました。

1歳の誕生日を過ぎた頃から、手足の先がくっきり白くなりました。
この「白靴下」は、生涯に亘ってランディのトレードマークになりました。
また、耳や顔の毛が黒っぽくなってきました。

2歳になると、ブリンドル模様がややはっきりしてきました。
同時に赤い差し毛が増えてきて、少しレッドウィートンブリンドルっぽい感じになりました。
その毛色とヘアスタイル、そしてイケメンゆえにか、道行く人々から、しばしば「ベッカム様」と呼ばれました。

3歳になったランディは、秋の換毛期以降、毛がぐんぐん伸びて、ブリンドル模様がまたぼやけてきました。
また、赤みが抜けると共に、背中の辺りから段々黒っぽくなってきました。
体重は以前と変わらないのに、肩幅や胸の深さが増したように感じられ、何だか一回り大きくなったように見えました。
4歳を目前にして、ようやく大人のウルフハウンドとして完成したランディでした。

4歳になってから、黒っぽいエリアが背中から全体に広がり、父犬ビリーくんよりは明るいメタリックなグレーになりました。
艶やかで、実に美しい毛色でした。
また、この頃から「夏は黒髪、冬は茶髪」というサイクルが始まり、みんなから「季節限定不良」と言われてしまいました。

5歳の1年間はさほど変化がなかったのですが、6歳になると、メタリックグレーの中に再び赤っぽい差し毛が増えてきました。
それとともに、首から背中にかけて、一段と黒くなってきました。

ブリンドルカラーのアイリッシュ・ウルフハウンドは、生涯に亘って毛色が変わり続けることが多いそうですが、実際目の当たりにすると驚きでした。
久しぶりにお会いした方から、「ランちゃん、色変わった?」としばしば聞かれたものです。

















■ひとりっ仔時代の終焉

ランディも3歳を過ぎて随分お利口さんになり、躾の手間も掛からなくなってきました。
そこで、パパママは、2頭目のウルフハウンドを我が家に迎えることに決めたのです。

いつもお世話になっているOパパさんOママさんにお願いして、待つこと数ヶ月。
ある日、Oママさんからお電話をいただきました。

そしてやって来たのが、ウルフハウンドの皮を被った爆裂火星犬フィンリーです。

フィンリーの母犬ダイアナちゃんは、フィンリーたちを産んだ直後、初乳も飲ませることなく亡くなってしまいました。
Oパパさんのところでは、他にも同じ時期に出産したワンコがいて、パピーの世話にてんてこ舞いでした。
少しでもOパパさんOママさんの負担が軽くなればと思い、パパママは、まだミルクを飲んでいた生後21日目のフィンリーを連れ帰ることにしたのです。

ランちゃん車の中でお利口に待っていたランディは、体重が僅か1kgしかない小さな小さなフィンリーの匂いを嗅いで、ヨダレをだらだら垂らしていました




■やりたい放題の火星犬

ママが、小さ過ぎて触るのが怖いと思ったほど頼りなげなフィンリーでしたが、当初はランディも、この小さな生き物にどのように対応していいのか困っている様子でした。
フィンリーが体によじ登り始めると、思わず固まってしまうランディでした。

そのうち段々と目も見え始め、また足腰もしっかりしてきたフィンリーは、お兄ちゃんにあれこれちょっかいを出すようになりました。
咬まれたり引っ張られたり、体の上を走られたりしても、ランディはただ迷惑そうな顔をするばかりで、フィンリーを全く叱ろうとしません。
叱られないのをいいことに、フィンリーは毎日やりたい放題でした。

どうやら体格もフィンリーの方が大きくなりそうだし、この調子だと、2頭の地位が逆転するのも時間の問題かな・・・と、パパママは思っていました。




■立派なお兄ちゃん

フィンリーがお散歩デビューしたばかりの頃のことです。

狭い道を歩いていると、向こうからジャーマン・シェパードを連れたおばさんがやって来ました。
パパママは、そのシェパードには基本的な躾すら入っていないことを以前から知っていましたし、飼い主はリードをだらしなく伸ばしたままケータイでおしゃべりに夢中です。

かなり危険な状況なので、私たちは道の反対側にできる限り避けて擦れ違おうとしましたが、シェパードは、案の定フィンリー目がけて突っかかってきました。

その瞬間、ランディは、低い唸り声を上げてシェパードの前に立ちはだかり、頭突きして追い払ったのです。
パパママは、威嚇の唸り声を上げるランディを初めて見ました。
自分が攻撃される分には、たとえ肉が見えるほど酷く咬まれても決して喧嘩を買わないランディですが、これ以降、フィンリーに危険が迫るたびに弟をしっかり守ってくれました。
しかも、相手の攻撃がおふざけか本気かをしっかり見極めて、絶対に過剰防衛はしませんでしたし、攻撃を排除する時は、いつも相手を突き飛ばすか押さえ込むだけで、咬みついて怪我をさせるようなこともありませんでした。

これを機に、パパママは「ランちゃんって、いい奴だけど、ちょっぴりビビリでへなちょこ」という評価を改めることになりました。
ビビリでへなちょこといえば、ランディは、フィンリーと一緒にいる時には、モノレールや大きな物音を怖がる素振りを見せなくなりました。
本当は相変わらず怖かったのですが、彼が必死で恐怖と戦っているのがパパママにも分りました。
おうちの外では弟を守らなくてはという責任感が、彼をそうさせたのでしょう。

さて、それまでフィンリーにやりたい放題させていたランディでしたが、フィンリーが生後6ヶ月を過ぎた頃、突然転機が訪れました。
ある日、お兄ちゃんにじゃれ付いているうちに興奮してきたフィンリーが、ランディにマウンティングしようとした時のことです。
ランディは、突如、フィンリーを文字通り部屋の端から端までぶっ飛ばしました。

今まで何をやっても叱られなかったのにいきなり厳しいお仕置きをされたフィンリーは、びっくりして泣き喚いていましたが、これで2頭の順位がきちんと確定しました。
そして、以後フィンリーがランディの地位を狙うことは、一度もありませんでした。

ランディとしては、生後半年の間は「赤ちゃん特別割引」してやっていたのですね。
そして、割引期間終了後は、犬社会のルールをフィンリーにしっかり教え込んでくれました。

フィンリーの面倒を見るようになって、ランディの顔つきも変わってきました。
ひとりっ仔時代には、いかにも甘えん坊なしまりのない表情を見せていたランディですが、徐々に鋭さと威厳が備わってきた印象を受けました。
ようやく成熟した牡犬の風格が出てきた感じでした。

亡くなるほんの数時間前にも、フィンリーとお友達の遊びがヒートアップし過ぎる前に、さり気なく両者の間に割って入っては、弟の世話を焼いていたランディでした。
その時には既に、心臓が苦しかったでしょうに・・・。

最期まで、本当に立派なお兄ちゃんでした。


■仲良し兄弟♪


フィンリーは、物心ついたときからずっと一緒にいたランディのことが大好きでした。
お兄ちゃんが相手をしてくれない時には、わざと叱られるようなことをしてでも構って貰おうとしました。
躾の本には、「構って欲しくてイタズラする犬を叱るのは逆効果。無視するのが一番」と書いてありますが、叱られるのを承知でお兄ちゃんにちょっかいを出すフィンリーを見て、なるほどこういうことかと納得しました。

ちゃんとリビングに各々のドッグベッドがあるのに、フィンリーはランディにくっついて同じベッドで寝るのが大好きでした。
ランディも、ちょっぴり迷惑そうな顔をしながらも、一緒に寝てやっていました。

フィンリーが段々大きくなってくると、ランディは、追いかけっこや犬プロレスで一緒に遊んでやるようになりました。
でも、犬プロレスはランディが亡くなる前日までお兄ちゃんの連戦連勝で、体格だけはランディより一回り大きくなったフィンリーは、いつも負けてばかりでした。
強くて優しいお兄ちゃんでした。

仔犬の頃、玩具で遊ぶ機会がなかったらしいランディは、我が家にやって来てからもあまり玩具には関心がなく、せいぜいパパとデンタルフロスの引っ張りっこをするくらいでした。
けれども、フィンリーが毎日楽しそうにボール遊びするのを見て刺激を受けたらしく、6歳になってからは自分もボール遊びをするようになりました。
そして、晩年には、フィンリーとボール争奪戦を楽しむまでになりました。

ワンコには、何歳になっても新しいことを学習する能力があるんですね。

パパママにとって、多頭飼いは初めてでしたが、とても興味深い経験でした。
フィンリーは明るく元気でフレンドリーなワンコらしいワンコに育ちましたし、ランディが意外にもしっかりしたお兄ちゃんぶりを発揮してくれたことは嬉しい驚きでした。

優しくて頼りになるランディとやんちゃで明るいフィンリーは、3年半の間、一度も喧嘩したことがありませんでした。
とても仲良しなニコニコブラザースでした。



■肺炎と高熱

2006年9月15日、フィンリーが突然熱を出して寝込んでしまいました。
40℃以上の高熱のため意識が朦朧とし、食事も水も摂れない状態です。
肺炎を起こしているとのことで、かかりつけの獣医さんに点滴をしていただく状態が2日間続きました。

ランディは、ぐったりしたフィンリーの横で、心配そうな顔をして添い寝していました。

徐々にフィンリーの症状が改善してきたと思われたのも束の間、22日夜から再び悪化してしまいました。
その上、ランディにまで肺炎がうつってしまったらしく、フィンリーと同じような咳と高熱が出始めたのです。

先生と相談した結果、兄弟揃って散歩を休み、同じ抗生物質を飲むことになりました。
いつもなら、雨で散歩に行けないと部屋の中で大騒ぎするのに、一日中静かに寝たままで実におとなしい仲良し兄弟でした。
相当具合が悪かったのでしょうね。

1週間近く散歩を休んで安静にしていたら、兄弟共に9月28日頃からめっきり咳が減り、鼻が詰まったような感じもなくなってきました。
そこで、翌29日、久々に散歩に出かけてみることにしました。
こんなに長い間散歩を休んだのは、ランディにとって初めてのことでした。

具合が悪くなったら途中で引き返すつもりで様子を見ていましたが、ランフィン共に咳き込むこともなく、以前と同じように元気だったので、パパママはようやく一安心しました。

10月2日に獣医さんと相談して、症状もほぼ治まったと思われるので、このまま様子を見ることになりました。
とはいえ、まだ病み上がりのため、楽しみにしていた「ビッグワン・パーティー」やウルフハウンドオフ会への参加は大事を取って見合わせることにしました。








■急激な衰え

10月14日、散歩から戻っていつものようにランディの足を拭いていると、前肢に血が付いているのを見つけました。
よく調べてみると、怪我をしていたのは前肢ではなく、後肢の爪でした。
どうやら爪先を引き摺り気味に歩いて、爪が異常に磨耗したようです。

先月、肺炎に罹った時しばらく散歩を休んだために、足腰の筋肉が衰えて、歩様がおかしくなってしまったのが原因のようでした。
たっぷり運動させることによって完治したかに思われた右膝の古傷が、筋力の衰えとともに再び顔を出したのです。

10月20日、ランディの肺炎が再発しました。
またも苦しそうな咳をし、40℃以上の高熱を出しました。

今回、フィンリーの方は何ともなかったところをみると、ランディは抵抗力がかなり落ちてきたようです。

ひと月の間に二度も高熱を出してしまったランディ。
元々心臓に持病を抱えているので、かなり心臓に負担が掛かってしまったのではないかとパパママは心配しました。

そこで、10月22日にかかりつけの獣医さんのところで心電図を採っていただきました。
その結果、期外収縮はみられるものの、すぐ問題になるほどではないとの診断でした。

この冬は、ランディの大好きな雪遊びや旅行も我慢して、静かに過ごすことにしました。

ところが、2007年1月31日、ランディがまた肺炎を再発してしまったのです。
2月2日にかかりつけの先生が心電図を採ってくださったところ、心臓肥大が疑われるとのこと。

2月5日、久しぶりに大学病院へ行き、以前お世話になった循環器系専門の先生にまた診ていただきました。

先生によると、心臓肥大は大丈夫だが、重度の肺炎と加齢による心房細動がみられるとのことでした。
X線写真を見ると、素人のパパでもはっきり分るほどの影がありました。
また、血液検査は異常なかったものの、尿検査では結石ができやすい体質ということが分り、日常生活の中で注意するようアドバイスを受けました。

ご飯はちゃんと食べているのに、体重が54kgへ激減していたのも気になりました。
そこで、朝晩の食事の量を少し増やしてみることにしました。

2月11日に、かかりつけの先生の診断を受けました。
まだ熱があり咳も出るものの、肺炎の症状はだいぶよくなりました。

2月21日、再び先生に診ていただいたところ、肺炎の症状は一段と改善し、体温も37.6℃に下がりました。
けれども、心電図をみると、期外収縮・両室性肥大の傾向がはっきりと出ていました。
心拍数が132とかなり速いのも心配です。

3月3日、先生に聴診していただきました。
期外収縮があり、また律動もやや不全とのことで、心臓の薬を飲み続けることになりました。
咳は、たまに出る程度にまで改善しました。

ランディの肺炎が他のワンコにうつるおそれはないとのことなので、第1回から毎年参加させていただいている「セントパトリックデー・パレード横浜元町」には、今年も何とか出ることができました。
でも、この3月10日のパレードが、ランディにとっては最後のセントパトリックスデーになってしまいました。

3月13日、再びかかりつけの先生に聴診していただきました。
期外収縮と律動が改善してきたので、心臓の薬を減らすことになりました。

3月17日、お散歩コースの途中にオープンした「hideaway diner」へパパママの食事に行きました。

ランディは、いつも通りお利口さんにフロアへ伏せていましたが、突然立ち上がると、苦しそうにぜーぜーと呼吸し始めました。
咳というよりは、何かの発作のような感じです。
お店で少し休ませていただいたあと、何とか歩いておうちまで帰りました。

翌日、いつもとは別の病院でランディを診て貰いました。

呼吸が苦しそうになるのは、加齢による気管支拡張症との診断で、ステロイド剤を処方していただきました。

食事を増やしたにもかかわらず、体重は52kgまで減っていました。
ランディは、ずっと61〜62kgを維持していましたから、ほぼ10kg減ということになります。
背骨や腰骨が浮き上がり、痛々しいほどがりがりに痩せてしまいました。
特に、後肢の腿はすっかり細くなり、筋肉が落ちているのが見た目にもはっきりと分ります。

おなかの調子は大丈夫だしフィンリーのご飯を狙うほど食欲もあるので、獣医さんと相談して、食事をさらに増量することにしました。

3月25日になると、咳の症状はかなり改善しました。
ステロイド剤の投与量を半分に減らしたので、トイレの回数は随分減りました。
血液検査の結果は異常なし。
肺炎や癌などの心配はなさそうです。

4月7日、狂犬病予防接種のあと、ランディは少し体調を崩してしまいました。
何だかだるそうな感じだったので、散歩を休んで様子を見たところ、ほどなく回復しました。
今までこんなことはなかったので、ちょっと心配になったパパママです。

4月27日に、気管支拡張症が再発しました。
ステロイド薬を飲ませると、翌日には症状が改善しました。

でも、こんな対症療法の繰り返しでは、発作のたび心臓に大変な負担が掛かるのではないだろうか・・・。
発作が起きると、あの我慢強いランディが本当に苦しそうなのです。
パパママは、とても不安になりました。

4月中に春の換毛が終わりましたが、豊かな被毛が自慢だったランディは、毛量が激減してしまいました。
夏毛がほとんど生えてきていないような感じすら受けました。

フィンリーと比べると、散歩から帰って動悸が治まるまでに時間が掛かるようになり、疲れた表情を見せることも多くなってきました。
何だか急に老け込んでしまったランディです・・・。

月が変わって5月4日、8種混合ワクチンの接種を受けました。
今回は体調を崩すこともなく、パパママはほっとしました。
聴診の結果、心臓の律動は改善傾向にあるとのことでした。
体重は、54.56kgまで戻ってきました。

ゴールデンウィーク中から、時折、梅雨の晴れ間のような蒸し蒸しした天気の日があり、そんな時、ランディはかなり暑そうにしていました。
そこで、夕方散歩に出かける時間を遅くして、ランディの体への負担が軽くなるようにしました。

5月12日、ランディは暑さで水をがぶ飲みして、おなかが緩くなってしまいました。
常備薬の下痢止めを飲ませてご飯を抜いたら、すぐによくなりましたが、やはり体力の低下は明らかでした。




■虹の橋へ・・・。

5月26日、久々のお出かけを翌日に控えたランディは、夕方の散歩がてらママに連れられて、かかりつけの獣医さんに診察していただきました。

病院へ行く途中でお友達に出会えてすっかりゴキゲンなランディは、体重も55.38kgまで戻り、元気だった頃よりはまだ痩せているものの、痛々しいほどの状態ではなくなりました。
先生からは、「随分元気になったね。心音もかなり綺麗になったよ」と言われ、パパママは安心していたのですが・・・。

翌27日、久々のお出かけに、ランディは朝から大興奮でした。
早朝、我が家を出発し、山中湖を目指しました。

行きの車中では、荷物ネットにマズルを突っ込んで遊ぶお茶目なランディでした。

途中休憩に立ち寄った足柄サービスエリアでは、大勢の人たちがランディとフィンリーを見て歓声を上げていました。

この日はたまたま山中湖一周のロードレースのため通行規制されていたので、迂回路をウロウロ走り回り、約束の時間より30分遅れてようやく「ロッヂ花月園」に到着しました。
現地は涼しく、これならランディにも快適だろうとパパママは思いました。

ほどなく、ランディが大好きだったグレート・デーンのジャズ兄ちゃんの血を引く2頭の男の仔と彼らのオーナーさんがやって来ました。

ランディは、大喜びでご挨拶に精を出していましたが、お昼前になって、また苦しそうな咳をし始めました。

人間たちが昼食を取っている間にランディの具合がかなり悪くなってしまったので、午後の予定はキャンセルして、早めに帰路につきました。

体を触ってみると、熱もあるようです。
帰りの車中で、ランディの容態はどんどん悪くなっていきました。
東名道が事故で渋滞していた影響で、午後7時頃、ようやくおうちへ帰り着きました。

この日は獣医さんが休診だったので、電話で指示を仰ぎ、まずは体を冷やすことになりました。
1時間様子を見て、また電話するようにとのことです。

立ったまま苦しそうな息をするランディの体を、とりあえず濡れタオルで包んでやり、ママはコンビニへ氷を買いに走りました。

ママの帰りを待つ間に、ランディはとうとう立っていられなくなり、崩れ落ちるようにリビングの床へ倒れこみました。
パパは、ランディを抱き上げて楽な姿勢を取らせてやり、「もうすぐママが帰ってくるからね。頑張るんだよ」と励ましました。

ママが戻ってきて、氷で冷やしたタオルを掛けてやった直後、ランディは意識を失いました。
大好きなママが帰ってくるまで、気力を振り絞って懸命に頑張っていたんですね。

ランディは、突然大量の胃液を吐き、まず顔が、そして次に後肢が痙攣を起こしました。

ママは再び電話を入れ、かかりつけの先生が急遽駆けつけてくださることになりました。

しかし、ランディは、残念ながら、それまで持ちこたえることができませんでした。

パパは、ランディを抱きかかえて、彼の胸に手を当てました。

心臓の鼓動が、徐々に弱まっていくのが分りました。
そして数分後、ランディの心臓は、ついに、脈打つのを止めてしまいました。

ほどなく先生が到着して、懸命に心臓マッサージをしてくださいましたが、ランディが再び息を吹き返すことはありませんでした。

パパママは、先生に「もう結構です。ランディは充分頑張りましたから。ありがとうございました」とお礼を言いました。

直接の死因は、急性心不全でした。









当日のパパママの対応は、本当にこれでよかったのだろうかと、今でも自問自答しています。

他に何か手立てがあったのではないか・・・、
車内で氷を使って体を冷やしてやっていれば・・・、
家まで戻らず途中の動物病院へ駆け込んでいれば・・・などと、
あれこれ思い悩んでいます。
















    我が家にやって来て間もない頃のランディ 2000/09撮影    
  バスタオルと交戦直後のランディ。腿の内側が赤くなっているのが分ります。 2000/09撮影
  お庭でお食事中♪ 2000/09撮影
  花壇でお昼寝するランディ 2000/09撮影
  見事な毛吹きのランディ 2005/11/01撮影
   
  ハルティでお散歩 2001/06/02撮影
  額縁屋さんのドッグパーキングで 2001/06/02撮影
  「相模湖ピクニックランド」で開催されたBWP関東にて 2001/12/01撮影
  「伊豆マウンテンドッグラン」にて 2001/12/23撮影
   
  ベストの背中にママが縫い付けた白いポケットへホルター心電計を入れました。 2001/12/28撮影
  今日はセントパトリックスデーだね♪緑のコートを着たママと辻堂海浜公園にて 2002/03/17撮影
   
  右後肢を痛めた日に朝霧FDGにて 2003/05/10撮影
  大学病院から帰る車中にて 2004/03/22撮影
  渚のハンサムランディ 2005/05/24撮影
  追いかけっこ 2006/03/04撮影
  ランディを遊びに誘うフィンリー 2006/04/26撮影
  生涯一度も喧嘩しなかった仲良し兄弟♪ 2007/03/27撮影
  OES隊と 2006/10/12撮影
   
  辻堂海浜公園でママと 2001/10/27撮影
  白手袋がチャームポイント♪ 2005/05/16撮影
  清里「萌木の村」にて 2005/11/14撮影
   
  朝霧FDGでビーグルちゃんとご挨拶 2003/01/05撮影
  小さなはなちゃんとは身体を屈めてご挨拶 2003/01/18撮影
  大好きだったジャズ兄ちゃん、ダットレイくんと 2003/04/27撮影
  「いぬともドッグフィールド」にて 2007/01/07撮影
  「hideaway diner」にて 2007/03/21撮影
  右後肢に包帯を巻いたエディくん 2001/12/23撮影
  エディくんとランディ 2001/12/23撮影
  エディくんの匂いチェックを受けるランディ 2002/12/15撮影
  ビリーくんとランディ 2001/08/19撮影
   
  輝く被毛を風になびかせるランディ 2004/01/13撮影
  「レンタッタ」にて、仲良し同級生ベルーノくんと共に4歳を祝う合同お誕生会♪ 2004/03/07撮影
  ほとんど縞模様のない「なんちゃってブリンドル」のランディ 2000/10/28撮影
  1歳になったランディの横顔 2001/02/28撮影
  「ベッカム様」と呼ばれていた頃。朝霧FDGにて 2003/05/09撮影
  紅葉の八ヶ岳にて 2003/11/04撮影
  背黒で茶髪なランディ 2006/04/17撮影
   
  最後のひとりっ仔旅行 清里「萌木の村」にて 2003/11/04撮影
  フィンリーの匂いを嗅ぐランディ 2003/11/15撮影
  サークル越しにご挨拶するランディとフィンリー 2003/11/16撮影
   
   
    ママとランディ、それにお散歩デビューしたばかりのフィンリー 2004/02/22撮影
    フィンリーに教育的指導中のランディ 2005/05/24撮影
    イケメンランディと爆裂フィンリー 2005/12/28撮影
    お調子者に喝! 2006/02/25撮影
    疾走するランディ 2006/04/17撮影
    雪の芝生広場で 2006/01/24撮影
     
    ランディとお散歩デビューしたばかりのフィンリー 2004/02/22撮影
    「コッカティル」のテラスで仲良くお昼寝 2004/04/11撮影
    追いかけっこ 2005/12/23撮影
    ボールを攻撃中のランディ 2007/03/07撮影
    仲良く並んで 2006/03/31撮影
     
    ダウンしたフィンリーに添い寝するランディ 2006/09/15撮影
    ランディもとうとうダウン 2006/09/25撮影
    久しぶりのお散歩 2006/09/29撮影
    お山コースの緑道で 2006/10/02撮影
     
    笑顔の親仔 2006/10/19撮影
    ハロウィン兄弟 2006/10/30撮影
    「コッカティル」ではここが定位置 2006/11/03撮影
    クリスマス仕様のニコニコ兄弟 2006/11/25撮影
    「コッカティル」の忘年会で 2006/12/17撮影
    赤富士犬 2006/12/29撮影
    いつもの浜から富士山を望む 2006/12/31撮影
    おうちのミモザの下で 2007/03/04撮影
    聖パトリックの祝福を受けるニコニコ兄弟 2007/03/10撮影
    満開の桜の下で 2007/04/01撮影
    凛々しい兄弟 2007/04/08撮影
    澄んだ瞳のニコニコ兄弟 2007/05/17撮影
     
    これじゃあ前が見えないよ〜 2007/05/27撮影
    「ロッヂ花月園」で 2007/05/27撮影
    デーンズとウルフィーズ 2007/05/27撮影
    ママと一緒に 2007/05/27撮影
    即座にお兄ちゃんの死を悟ったフィンリー 2007/05/27撮影
    ランディの安らかな寝顔 2007/05/27撮影
    犬友が贈ってくださった花に囲まれたランディのお骨 2007/06 /01 撮影
    パパと一緒に夕暮れの渚で 2007/05/20撮影
 

最期まで強くて優しかったランちゃんへ


ランちゃんのおかげで、楽しい想い出がいっぱいできたよ。
大勢の可愛いワンコや素晴らしい飼い主さんたちとも知り合うことができたよ。

パパとママに沢山の幸せを運んできてくれて、本当に本当にありがとう。

もう苦しい思いはしなくてよくなったから、虹の橋でお友達と楽しく遊びながら、
パパママやフィンリーが来るのをのんびり待っていてね。

それまでは、パパママと、まだちょっぴり頼りないフィンリーのことを空の上から見守っていてね。

またランちゃんに会える日を楽しみにしているよ。


パパとママより感謝と愛をこめて



RANDY_THE_GENTLE_GIANT 2006/01/22撮影



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